おやゆび便り
おやゆび便り

2018-10-22

手放して姿。

なにものかになりたい。
でも。
なにものにもなりたくない。
ずっとそういう葛藤の渦のなかで
ぐるぐるやっている気がする。
もう何年も。
十何年も。

なにものかになるのは
並大抵のことじゃない。
かんたんになれるものじゃない。
そうは思いつつも、
なにものかになってしまったら、
どれだけ楽だろうかとも思う。

どこかの「なにもの」かには、
なにわかったようなこと言ってるんだ、
なんて思われるかもしれない。
なってもいないのに、
なに勝手なこと言ってるんだ、
なんて蔑まれるかもしれない。

でもいいのだ。
そういうのはまま慣れているから。

あなたはなにものだろうか。
まだなにものでもないだろうか。
なにものかになろうとしている
まっただなかだろうか。
なにものかになって、
満足しているだろうか。
なにものかになってしまったことに、
あるいは悩んでいるだろうか。

なにものかになるということは、
当たり前の話「決める」ということだ。

ぼくはこれまでずっとずっと、
平均的に「決めずに」きた。
生きてきた。
決めないから、周りが呼ぶように
呼ばれてきた。
コピーライターだってそうだ。
仕事がまさにそうだ。

ぼくはなにものかになりたいのだろうか。
なにものかを見ると、そう思う。
でもふとひとりになったとき、
人が嫌になったとき、
ぼくはなにものにもならないぞ、
なにものでもないぞと思う。
誓う。

ぼくはぼくのままで、
どこまでいけるだろうか。
できるだけ人に迷惑をかけないで。

では、また書きます。

なにものかになるときは、手放すときだ。

イデトモタカ