2017-11-08

意。

鬱っぽい話がしたいわけでもなく、
そういうメンタルの状態なわけでもなく、
ただただ純粋な疑問として、
「ぼくはどうして今日も生きているのだろう」
と思ったのです。
そしてじぶんなりに考えた答えは、
「昨日生きていたから」なのでした。

生まれた次の日から、
ぼくはずっと、昨日生きていました。
たぶん、だから今日も生きているのだと思います。
自ら命を終わらせることをしない限り、
だいたいの人は、寿命や病によって火が消えるまで、
昨日生きていたから今日も生きているような気がします。

なんだかとても消極的な理由であり、
消極的な話でございます。
でもぼくはかなり事実に近いとも感じています。

今日生きている理由を、とても明確に、
切実に、保持している人は少数派です。
ぼくはそういうときもあるし、そうでないときもあります。
そうでないときの方が多いかもしれません。

ぼくらはぼくらのマネをします。
そうやって省エネに生きています。
意志や熱意や決意がない限り、
つまりそこに「意」がない限り、
なんだかんだなにかをマネてやりくりします。
そしてそれは、基本的に過去のじぶんです。

昨日のじぶんであり、さっきのじぶんであり、
今のじぶんです。
一日前の、一時間前の、一分前の、一秒前のじぶんです。

じぶんにどんなマネをさせるのか。
あるいはどんなマネはもうさせないのか。
「意」だけがそれに関与できます。
明るくたのしく生きましょうねい。

イデトモタカ